昭和の残り香が消えていく

お金

沖縄の勤務医です。

沖縄はまだまだ暑い日が続いていますが、朝夕の空気や空の高さにどことなく夏の終わりの雰囲気が感じられます。

 

さて、先月閉幕した夏の甲子園では、神奈川の慶應高校や岩手の花巻東高校など、強豪の野球部でも丸刈りでない学校が増えているということが話題になりましたね。

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ひと昔前までは「野球部といえば坊主」が定番でしたが、現在では丸刈りでない高校球児もよく見かけるようになりました。

この現象はどのように捉えればよいのか。

私は、「昭和からの脱却」と考えます。

我々世代が幼少期から青年期までを過ごした平成の時代は、昭和の残り香が濃く存在していた時代です。高度経済成長期の成功体験をもとに、教育から仕事まで、昭和の方法を踏襲していました。これは社会や教育現場ににおいて団塊の世代が大きな影響力を持っていたことが、少なからず要因としてあるでしょう。

しかし時代が令和になりコロナパンデミックあたりから、明らかに世の中の空気は変わってきました。終身雇用の終焉、働き方の多様化など、平成とも明らかに異なる様相を呈しています。

昭和世代からみれば軟弱にうつる令和の若者たちは、実際には「会社や組織が自分の人生の面倒をみてくれるわけではない」「正義は組織や社会ごとに変わる。正解はない」ということを知っています。

上司や指導者に気に入られることが自分のプラスにならないこともありますから、令和世代はそのあたりを考えしたたかに行動します。

後輩の指導に苦慮している上司は、後輩の無能を嘆くよりも、「まず自分が嫌われていないか」「後輩にとって不要な存在になっていなか」という次世代のニーズに応えられていない可能性を謙虚に考える必要があるかもしれません。

これからの日本は人口減少、少子化など、国としてはゆるやかに衰退が予想されます。令和の時代では、栄光輝く昭和の残り香は消え去ります。

自身の判断軸を明確に持ち、行動する人が幸せを手に入れるのでしょう。

いち庶民がやれ少子化だ、人口減少だ、昭和は良かった、などと国の衰退を嘆いていても人生は好転しませんから、まずは自分や家族の幸せをつかみとることを目標としたいですね。

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